こんにちは。初めまして。りょんです。
今日も元気に子育てしております。
先日、中脇初枝さんの著書を読みました。
今の私にドンピシャで響いたので感想を残したいと思います。
『きみはいい子』
中脇初枝さんの本は初めてだったのですが、子どもに関する話という前情報だけで手に取りました。
2012年初版ということで10年以上前に刊行された作品。
私は今このタイミングでこの本に出会えて良かったと思えました。
五つのお話しからなっていて、主人公は全てちがって立場もちがうのですが、同じ世界の同じ地域、同じ年代が重なる話なので連短編集って感じですね。
同じ地域に住む様々な立場の登場人物の目線で虐待や学級崩壊について淡々と描かれています。
318ページと、最近の私にとっては読めるかどうか不安を感じるボリュームでしたが、短編集なので意外とスラスラと読めました。
はじめの新任教師のお話も何処か薄暗い雰囲気で始まり、終わり方もスッキリするかと言えばそうでも無いです。
ただ何となくですが著者の中脇さんはとても優しい方なのだなと最初のお話を読んですぐに感じました。
どのお話も薄暗い現実の中にほんの少しだけ光が見えるようなお話です。
読み手の立場によってはリアリティを感じない方もいるかもしれません。
ただその一方でものすごくリアルに感じる方もいると思います。
私はその1人でした。
『べっぴんさん』
特に『べっぴんさん』というお話。
少しネタバレすると虐待の被害者が親になり今度は自身が加害者になってしまっているお話です。
こう一言で言葉にするとなんとも救いのないだけの話に感じますが、今まさに子育て真っ最中の私には痛いほどリアルに感じられて泣けてしまいました。
私自身は虐待されていたわけでは無いですし、いわゆる『ゆとり世代』ですが、まだ少し体罰が許されていた年代でした。
うちの親に関してはどちらかと言えば放任でテキトーな普通の家庭でしたが、やっぱり今現代の一般的に良しとされている子育てとはギャップがあるように感じます。
なのでどこかで厳しく叱ること=良い親 という刷り込みが抜けきらないんです。
ただ、厳しく叱ればいいというものでは無いと、嫌になるぐらいわかっています。
そもそも『叱る』とは何なのか。
叱る/怒る/叱咤/叱責/譴責 の共通する意味
=相手の非をとがめ、きびしく注意する。
『相手の非』
…うーん、なんだかしっくり来ない。
そもそも産まれて4年足らずの子ども相手に『非』を咎めるとは…
そうい疑問があるのにもかかわらず、何故叱らなければならないと考えるのか。
それは私の場合十中八九『自己満足』と『見栄』です。
厳しく叱る=良い親 という刷り込みがあるがために叱らない子育てをしたいのに叱らないと自分が親の責任を果たしていないような気がする(または他人からそう見られる気がする)
そんな親の『見栄』のために振り回される子どもが可哀想…
いつか本当に手をあげてしまいそうで怖い…
今自分で書いててもすんごいネガティブだしくだらないなって思うんですけど1回このループに入っちゃうともうだめなんですよね。
私の場合家の中でワンオペで子育てしてるとその思考からなかなか抜け出せないです。
そんな事をぐるぐると考えている時に出会ったこの『べっぴんさん』というお話。
久しぶりにめちゃくちゃ感情移入してしまいました。
人によっては酷い話だと感じる方もいるかもしれません。何があったとしても、子どもに手をあげる事はあってはならないことです。
それは痛いほどわかっているから、追い詰められるんです。
私はこのお話を読むことで、少しだけ救われました。
ほかのお話も、全く違う立場から子どもに関わる話がそれぞれどこかで何となく繋がっています。
どれも明らかな『救い』だったりいわゆるハッピーエンドのお話ではないかもしれないですが、
『きみはいい子』と言ってあげたい。
言ってあげられる大人になりたい。
そう思いました。
2015年には映画化も
映像化されてました。
それぞれどこまで再現されているのか気になります。
残念ながらアマプラにはありませんでした。
借りてみてみようかな。
『わたしをみつけて』も読めばもう少し希望がみえる
『きみはいい子』から3年後の2015年初版。
こちら、お話の筋は違いますが舞台は同じで、所々繋がっている場面もあって面白かったです。
前作の『サンタさんの来ない家』に出てくる男の子のその後も感じられて、少し希望が持てる終わり方でした。
可能であれば『きみはいい子』を読んだあとは『わたしをみつけて』を続けて読む事をおすすめします。
中脇さんの違うお話も読んでみたいと思いました。
それではまた!
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